色も形もない世界から私たちにはたらきかけているものがあり、そのはたらきに日常生活の中どのように出遇うか
今日は再び奈良、常福寺の報恩講でした。おそらく5回目だったと思います。間に一年もあって、その一年を振り返るご縁でもあると思います。今回は住職としての一年の歩みでもありましたが、最近気になっている三位一体や三身説の話しもできました。このようにして仏教やキリスト教を比べると共通点が案外に沢山出てきます。色も形もない世界から私たちにはたらきかけているものがあり、そのはたらきに日常生活の中どのように出遇うか、その意識が重要だと思います。
キリスト教の世界に生まれ育った私ですが、God の存在をどのようにイメージすれば良いか、いつも迷っていました。本当にその姿だったかどうか別として、イエスのイラストが沢山出ているから親しみやすい。人間は何か姿となっているものを必要としています。姿なければ、なかなか出遇えない。しかし宗教的本能に呼び覚まされた後は、先に述べているような具体的な姿、或いは実在した生仏がむしろ妨げになる場合もあります。
どの姿であっても、あくまで方便だからでしょうね、、?




