僧侶の道へ受入応援に感謝

「お金はないけど、得度したいと考えている、つきましてはご住職の寺院に所属させて下さいませんでしょうか」

といきなりメッセージが届いた。

そもそも、お金がないけどと言う辺りが普通ではないように思います。

お寺に伺って聞法させていただきたい、くらいから始まるのであれば。マシですが、?

「大谷派の僧侶になると、得度や年度ごとの僧侶賦課金、本山・寺院護持会費など、諸々の費用が発生します。当寺では経済的な余裕がないため、それらを僧侶ご本人にまかなってもらう必要があります。組織に所属するとなれば避けられないところです」

と書いたら、返事が来なくなりました、、。

最初は、何故そんなに急ぐのか、と思うぐらいに強引な雰囲気でした。

僧侶になりたいと思う気持ちは充分に分かります。私自身も得度を願っていて、どのように所属寺院のご縁を結べるのか、色々とハードルがありました。

「得度したい!」と外国人がいきなり問いかけてきたら、即答はまずできないでしょう。本当に道を求めている人であるかどうか、感じ取るのに、少しの間接していく必要があると思います。

言うまでも無く、得度を願っていて、寺院に所属したい方をを受け入れることに、総代さん方にも尋ねる必要があります。

ですから、直ぐに返事求められている様子はどうしても違和感あります。

得度を願っている人を簡単に受け容れて、その後面倒見ない、育ててあげると言うか、歩みを見守る事すらしないところを、何ヶ所か見た事あり、良くないと感じています。

受け容れる以上は、歩みも共にして、法友として付き合っていく覚悟は必要でしょう?

私は土佐清水の誓願寺で素敵な住職に受け容れ、ずっと見守って頂いて、心より感謝しています。住職が苦労された時もあったと思います。それでも諦めずに、私に向き合って下さいました。

私の一歩一歩を、共に喜んで頂いて、高雲寺住職の歩みも応援して頂いています。

高雲寺住職の話しを引き受けるかどうか、相談した時、私の方が、今までお世話になった所属寺院から離れる、という寂しい気持ちもあり、涙を浮かべた事を今でもよく覚えています。