寺に向けるタイミング
高雲寺は門徒さんが寄進してくれたドウダンツツジが咲き始めた。花が私たちに呼びかけてくれているかのようです。あまり悩まないで、ありのままで良い、と。
全国で法話依頼を頂いている私はいろんな寺院の在り方を見せて頂いて、学びを深めるご縁を頂いて恵まれています。寺院の在り方は門徒軒数によって経済的状況や活躍の規模が大きく異なっています。
門徒軒数の多い寺院は門徒会役員の交代も規定通りに実施できるが、高雲寺は門徒軒数が少なくて役員の交代はこれから益々課題になると感じています。
責任役員はもう既に通常の期間を超えておられ、役員をして頂いています。大きな寺院のように次々と新しい方に交代できれば良いですが、そこは難しいです。
次の世代へのバトンタッチも望ましいですが村に住んでおらず、子育てや仕事で忙しくて、お寺どころではないのは現状でしょう、、。
これはうちの高雲寺だけではなく、寺院皆共通の課題です。仕事引退してからにしかお寺に向いて頂けない、この在り方を責めている訳ではなく、実際に他のことで精一杯であって、今はお寺に向けるタイミングではないとも言えるでしょう。
親との死別が縁熟となり自らの命について考えるようになる、そういう傾向があります。高雲寺は次の世代も支えてくれるのか、心配ではありながらも、今はその答えが出ません。私たちにできるのは、「今」共に高雲寺を支えるだけです。この姿を次の世代に見せていながら、ご両親はお寺の為に一生懸命動いてくれたとある日その姿を思い出し、お寺に向き合うようになる事を期待して待つ事です。
悲しみをご縁として出遇う世界、母の安楽死無ければ、私こそ自身に仏さんの存在必要、生かされている事に感謝の念がなかったでしょう。
高雲寺の為になって下さる方を見る度に感動し、実は感謝の念でいっぱいです。体力の限界があり、寄進して頂いている事も本当に有り難いです。
正式門徒さんではないのに皆で庭の手入れした時サポートにきて頂いている方もいます。
皆が協力してこられたからこそ今の高雲寺がある。仏さんにお任せして、今がある事、感謝の念を忘れずに歩んでいきたいです。




