差別とは何か?

学校に人権講座を頼まれて「差別とは何か?」と自分が問われています。簡単に言えば、区別すること、
差をつけて扱うこと、でしょう?

特定の人やグループに対して、人種、性別、年齢、障がい、出身地などの属性を理由に、差をつけることです。

最近どの国でも見られているのは、肌の色や出身国に基づく差別です。
私も初耳だったが、ゼノフォビア(Xenophobia、外国人嫌悪)、
外国や異文化の人間、またはよそ者に対して抱く非合理的な恐怖、嫌悪、憎悪の感情です。

スイスに暮らしている時は海外から難民の数が益々増えてきて、住んでいた人は自らの居場所が無くなってしまう心配もありました。
最近はマナー違反の問題で観光客もあまり歓迎されなくなりました。

日本国内でも、外国人に対する偏見や排斥の動きが課題として指摘されています。

しかし、自分にとって差別とは何か?
来日してからもう22年になりますが、日本で差別に思った具体的な例はありながらも、大体は社会に受け容れて頂いているように感じています。

差別そのものよりも差別的行為が起きた時、周りが知らん顔する事の方が実際に辛いです。立ち上がる勇気が問われているのでは、と思います。「触らぬ神に祟りなし」の姿勢は残念です!

しかし、何でも差別とされている今の時代でもあり、言葉に気をつけなければならないのは確かです。私自身は「外人」という言い方が不愉快です。「外人」という言葉よりも、そのニュアンスでしょうね、、。あまり良い意味で使われていないと感じているからです。「Outsider」 に聞こえるからかな? 確かに、「外人」は「外国人」よりは言いやすくて、自分の事を指していると感じなければ、私も「外人」というかも知れない。実際にはその表現に傷つかれています。

しかし、日本人ではないのは明らかです。例えば帰化するとしても、見た目は日本人に見えないから、いつまでも外国人としか認識されない。
帰化とは自分から願い出て、自国の国籍を捨て、他国の国籍を得て、他国民となることです。日本生まれの「外国人」の方はホテルに泊まる度に、在留資格の提示を求められるのは嫌な思いされていると想像できます。

差別かどうかは、された側にしか分からないと思います。結局は受け容れて貰えないと感じている自分の心が傷つかれています。その自分の心が問題です。私の場合は、外国人である「業」を受け容れる以外ありません。

受け容れるとは諦める意味ではなく、正に
「ありのままで良い」と、もう既に受け容れてもらっている、表層的な自我を超えているものに出遇う。

差を特徴として見直す。同じでなくてよい、自分にしかないものを生かす、私自身にとってこれは歩むべき道となっています。

周りを変えることができない、自分自身の受け止めを変える以外ない。

差別された実感は簡単だけど、差別している自身の姿に気づくは難しい!