「お取次」と自らの受け止めを表現する作業
今日は五村別院での同朋大会で、「何を拠り所にして生きるのか・to meet with the living Nembutsu 」。英語が益々増えてきました、、笑
Maybe one day は、all in English になるかもしれないですね、、。英語の表現は日本人にも新鮮で案外と分かりやすいのようです。
以前も書いたと思うが、やはり今の時代を生きている私たちは自らの言葉で表現する事も大切です。表現してみる事は勿論その人の感想や感覚にも影響されるが、私はそれはそれで良いと思います。
それは浄土真宗における「お取次(おとりつぎ)」の感覚に少し矛盾しているかもしれない。
「お取次」とは、僧侶が親鸞聖人の明らかにした阿弥陀如来のお救い、念仏の教えを門徒に伝えることです。自身の意見や教えではなく、仏の願いを「取り次ぐ」という姿勢を表す言葉です。
しかし、教えを説いている側は自身の受け止め方によって話しは必ず影響を受けると思います。無意識であってもですね。ですので、私は自分自身がどのように受け止めているのか、教えをどのように頂いているのか、どのように書き表すのか、考える事も重要な作業であると思っています。勿論宗祖が指差しておられた方向を見失ってはいけません、
個人的は親鸞さんの引用だけではなく、その言葉を引用されている講師自身の受け止め方が知りたいです。





