「ここで得度させて頂けるか?」という質問を私がした事はない
「ここで得度させて頂けるか?」という質問を私がした事はないです。
こちら側から頼む話しではないと感じたからでしょう、、。ご縁はできるものであって、積極的に求めるものではない、当時もそのように考えていました。
今日は近江塩津、塩津浜公民館で〜人権研修講演会〜
「私の人生が教えてくれた いのちの尊さ」でご縁を頂きました。
近江塩津駅で昔を振り返る気持ちになったが、得度以前に明石にある寺院の前住職に、近江塩津駅の近くにある蓮通寺に連れて行って貰いました。これは何か目的あった訳でもなく、お寺が好きな私だったから色んなところを見せたかったでしょう、
、。将来にこの地域にご縁ができるなんて、夢にも思わなかったです。
所属寺院に出遇う前に、Facebookの上で知り合った明石の前住職に、正信偈や阿弥陀経を教えて貰い、繋がりができました。しかし前住職の家族は外国人にお寺にきて欲しくないと言われて、道がそこで終わりました。これは得度を引き受けるかどうかの話しではなく、お寺で稽古する事でした。
前住職は私が切に願っていた得度の夢を、どうかに実現してあげたい気持ちで、一緒に東京に行く約束までできました。明石の前住職の寺院は東京の本山に所属していて、本山に直接話しておけば道が開くと前住職が考えていたようです。
私は当時、真宗は宗派に分流していることも知らなかったですが、ある日また東本願寺の前に通る時、例え得度の夢が叶うとしても、京都に住んでいる自分が東京の本山に所属する事に違和感がありました。そこで
東京に連れて行ってもらう約束を断りました、、。
お坊さんとして歩むご縁があるなら、京都にある本山で道が開くはず、そう信じていたからです。
誓願寺の住職とは、その後に出遇えて、真宗大谷派での得度が決まりました。浜口さんが得度された息子さんの写真をFacebookに載せた事にコメントを書いたのがきっかけとなり、何処もご縁なければうちの寺の名前を使ってもいいですよ、とお言葉を頂きました。考えると、いまだに不思議です、、。
実は、嵯峨野本願寺もうちからそう遠くないところにあり、以前にそこに足を運んだ事もあるが、不思議にそこでそういう話しになりませんでした。
「ここで得度させて頂けるか?」という質問を私からしたことはないです。こちら側から頼む話しではないと感じたからでしょう、、?
もう一つ可能性あったのは、うちの直ぐ近くにあった、真宗大谷派の寺院だったが、何回か訪ねても、そのようなご縁が生まれそうになかったです。得度を受け容れて頂けるかどうか、こちらから尋ねてもいないから、問いかけてみれば道があったかも知れません。
何故問いかけなかったか、何故東京の約束を断ったか、後で振り返ってもはっきりは答えられないが、不思議にそうなっただけです。
今となって、ただ自分の心に従っただけです。
色んな出遇いがあり、皆はそれでよかったです。出遇いと、timingですね、、。





