ターニングポイント「turningpoint」
人生における 「turningpoint」、日本語で言えば、廻心体験は何でしょうかね? そう言う出遇いは一度でもあれば、その上ない喜びでしょう。正に、「遇い難くして、今遇うことを得たり」でしょう。
今朝、福井別院の暁天講座で、ある牧師の廻心体験についてお話しをさせて頂きました。生きる意欲を見失い、自殺未遂まで至った牧師は、イエスの眼差しに出遇い、生きる力を回復しました。
この話しは師の宮岳先生に教えられたものです。
自分自身の自我の闇に行き詰まり、意欲を失った者が、法蔵菩薩の呼び声が聞こえてきたことによって、生きていこうと、生まれ変わった。
法蔵菩薩の願心が、信心となって、私の中きら生まれてくる。
このようや廻心体験は、宗教の垣根を超えた、生きとし生ける衆生の救いの原点でしょう。
私が捉えている法蔵菩薩の存在そのものです。何処か、遠く離れたところにいる存在ではなく、今、ここにいる。今、ここにいるからこそ、今救われている私です。
遠く離れた存在なら、救われないでしょう。
また、全ての出遇いはタイミングが重要です。心の持ち方によって、人との出遇い、言葉との出遇いが響くか否かが決まります。
「不可思議」は人間の知恵を超えた次元にあるから把握できないのは当然です。ですので、Human wisdom では把握できない。正にHuman wisdom の次元を超えた、Buddha wisdom の世界になります。
私は外にいらっしゃる阿弥陀仏だけではどうしても救いが実感を持って感じられないということがありました。その時、私は曽我先生の法蔵菩薩の出現の意義の英訳文に出遇い、深く感動しました。
僕も同じ疑問があり、同じ道を歩んできたよ、という励みなる声のようでした。
真実の教えとの出会い、阿弥陀仏の本願に気づき、救われる道が開けた。私にとってはこの教えとの出遇いが人生の「turningpoint」となり、大きな喜びを感じています。
母に頂いたご縁、とはまだ言いづらいところもありますが、実際には母の自殺幇助の道が無ければ、今真宗大谷派の僧侶になっていないでしょう。
私の人生を共に歩き、見守ってくださっている法蔵菩薩、その呼びかけが自分に届いた時、新しい生活が始まる。これこそは、お浄土に生まれていく旅です。



