自分自身に向き合う

学院で真宗教学について専門的な知識を得る事は勿論大切ですが、学院の期間は自分自身に向き合う期間でもあると思います。「でもある」というよりも、そちらの方が重要であるような気がします? 教学を学問として学ぶ限り、自分自身がいつまでも問題にならない。

専門用語をいかに沢山覚えているのか、と門徒さんの参加されている聞法会の場でも、相手のレベルを考えずに、自分だけを主張する人がいる。お坊さん同士は専門用語コンテストを開いても良いでしょうが、付いていけない人がいる事の配慮が欲しいです。

xx先生はどのように書いている、仰っている、それを丸暗記していながらも、あなた自身はどのように考えている、どのように受け止めている、と問いかけても、答えられない、、。意見がないのか、自信がないのか、どちらでしょうかね?

誤解のないように言いますが、学問的な知識を否定している訳ではないです。私自身はそう言う知識不足の身であるから、偉そうに言えないです。むしろ、羨ましいです。