仏教では仏教の精神は慈悲と言われますけれども、それを端的に言ってしまえば悲しみだろうと思います。
人間関係というものの根源的な意義を愛というところでおさえたのがキリスト教でしょうけれども、仏教は悲しみということでおさえたんです。
悲しみが人と人の根拠です。
愛し合っているというのは、そのものは信用になりません。ほんとうに深い人間の関係というものは悲しみのところで結ばれています。
仏さまは、「無縁の慈悲」と言われるように、全てのいのちを悲しみ、救いの手を差し伸べる。有限な私たちには及びもつかない無限の「悲」です。
しかし、悲しむべきことを悲しみきることができない自分の姿を、仏さまの大悲によって照らされたとき、逆にそのことが悲しみとなります。