今日は清沢満之の
「宗教を求むべし。宗教は求めるところなし」
についてお話ししました。
「宗教は求めなさい」で宗教を求める心は確かに大事です。
また、その宗教への最も大切な関心をいつも見失ってはならない。
宗教とは、私達が一番奥底で願っている、本当に拠り所とすべきものです。
人の心の奥底より出てくる深い要求に応えるために宗教はあると言っても良いでしょうね。
別の言葉で言えば、求道心ですね。
課題を持つことがなければ、宗教という心の拠り所の必要性が感じられないでしょうね、。
心の奥底の要求が日常生活にどう現れているか、またそれに気づくかどうかが問題でしょう。
居場所、拠り所、あるいは不安という要求として現れる事もあります。
「宗教は求めるところにない。」
自分に都合の良い「宗教」を求めようとするならば、本当に求めている真の宗教から離れたものになってゆく、意味でしょう。
自分が自己関心で求めるようなものは、真の宗教にはない。
私たちの自己関心で宗教を求めても、求めているようなものは得られない。都合の良いものを求めてやまない心、それは真の宗教を求める心とは異なるものでしょう。
幸せになる、願いが叶うような要求です。
自分が何故その宗教を求めているのか、その根本を常に確かめながら日々歩まなければならないと思います。
自分の問いや疑問、時に怒りといったことこそが、自分にとっての一番の入り口になります。
疑問を求め続ける事も大事と個人的に思います。
求めなくなったら、そこで歩みが止まるからでしょう。
人間である限り宗教を求むべきである。
しかし、人間は宗教に何かを期待するということはあってはならない、と清沢満之の言葉です。
宗教は人の心の一番深いところにある求めざるを得ない心の働きがある
けど、人の心の求める欲を満たすようなものであってはならない、大事な指摘です。
今日は奈良の常福寺でお世話になりました。門徒さんに沢山力を頂き、歩み続ける為の励みになりました。