法話のご縁を通して歩む中で自らの課題に再会
「オリジナルを目指す」とは?
私にとって法話とは何か、と最近色々考えています。
難しい教学を説く知識のある講師は沢山いますが、真宗の教学を分かりやすく話すことは私にとてもできないことです。学院に通ってても、先生方の授業を充分に理解できない、周梨槃特のような存在です。
そこで、「オリジナルを目指す」という、酒井義一先生の言葉が心に響きました。
自分が何を聞いてきたのかを明らかにする、それこそが法話です。
自分が何に出会い、何を聞いてきたのかを、思い起こす。そして聞いたことによって、何を感じ何を学んだのかを、自分の言葉で表現する。
有り難い指摘だな、と酒井先生に感謝しています。
難解な表現ではなく、私が響いたことを、それを語る事が良いだと。
歩むべき道をたずねる姿勢を忘れずに、オリジナルを目指して、自分なりの表現で語るからこそ聴いてくださる方に伝わりやすい話しになります。
学院でも、本に書いてあることをばかり読み上げている先生がいましたが、それは確かにあまり伝わらないように思いました。
近松先生は教団の歩みを自らの言葉で語って下さいました。共に過去に戻る旅に出る、素敵な授業でした。
その面で言えば、法話も、授業も似ていると思います。
自己満足で難解な表現で語るか、皆に伝わる分かりやすい言葉を選ぶのか、ここは肝心でしょう。難解な表現で語れるようになりたいと望んでいる自分でもありますが、とても及ばないです。