死んだらどうなるなのか、何の為に生きているのか、死後の世界が気になる方から質疑応答でよく質問されます。質問に答えきれない知識不足自分であるが、言えるのはただ自分自身の受け止めだけです。
真宗の答えとは違うかも知れない。しかし何も答えない訳にもいかないです。自らのお寺の住職には聞きづらい方も多くいるようです。
終わった命は、もとの場所に帰っていくだけ、いのちに立ち返る、という表現がありますが、それも少し抽象的な面があります。しかし、そのようにしか表現できないでしょう。
切り取った個別の命に見えるだけであって、命の根っこのところでは皆繋がっている、仏教では「同根」といいます。たけのこの根は皆繋がっているように、命も根底では皆一つに繋がっている
人と自然も 「天地と同根」
自分は落ちていく雪のようなもので、最後に海にポチャンと溶けて自分がなくなってしまう。そして最後に自分は海だったと思い出す。
結局は一日一日を生き切る、今を大切にして生きるしかないと思います。全ての存在に感謝して生きる。
死後は誰にも分からないですが、悔いなく生きることは親鸞さんの姿勢でもありました。