如来が守ってくれなかった、、!
2年前に息子を事故で失った方は、事故が起きた以来お寺に足を入れなくなった、、。それまでにはお寺の行事必ず家族でお参りされた。
こういう方にどのように接していけば良いでしょう、。
キリスト教でもよく聞きます、、何故神が守ってくれなかったのか、と、。いつも教会に行ってたのに、、。その怒り悲しみの中、神や教会と縁を切る。その行動によって、ある意味、神に仕返しする。
その気持ちを充分わかっていても、ここで本人自らの歩みが止まる他ないです。神や如来はこの世界で起きていることに対して責任を持っている訳ではない、、これは外から見ている人からすれば当たり前の事でしょうが、悩んでいる人を説得するような話しではありません。
如来の存在をどのように捉えていれば良いか、よく分からない門徒さんが多いです。自らの願い事をかける存在として無意識に"利用"する事が多い。お寺、教会に行ったから、変わりに守ってもらう、或いは、願い事を叶えてもらう。
辛い現実が起きること、住職にも、牧師にも説明はできない。Why did god let this happen? 神は何故このような事が起きることを許しているのか、? 答えはありません。
Terrible things happen and we don’t understand why。
言えるのは、怒りで他人、或いは自分を攻めている間は、自分もそこで立ち止まってしまいます。
苦しみ怒っている人が語り合い聞き合う中その事に気付かされるまで、話しを聞いてあげるしかできる事ないでしょう、、。
しかし、なかなか、難しいでしょうね、。
今日は「老 病 死」を考える、という真宗聞法月例会でお話しをさせて頂きました。善念寺、通徳寺や萬福寺という、三つの寺院の聞法会でした。この暑い時なのに本堂がいっぱいになりました!