得度してから3年間学院に通い、真宗について学び始めました。教師資格は得たと言いながらも、真宗の教えを理解できたとは言えません。
What is Amida Buddha?
Where is the Pure Land?
What exactly does 「Hongan」mean?
このような事が気になり、それらを問いかけながら今に至っています。
この外国人に相手する事は大変だ、とおそらく学院の講師も思ったでしょうね、、。
言葉では説明できないと分かりながらも、「本願」に出逢おうと思うなら、追求せずにはいられません。追求しているうちはあえて出逢えないかもしれないですが、そうであっても、これは私にとっては通り道であると感じ、歩み続けています。
法蔵菩薩 or Dharmakara の存在も気になり、なかなか把握できないものに感じています。何故法蔵菩薩は、方便と分かりながらも、真実に導ける力を持っているのか、と不思議に思っています。
Dharmakara symbolizes the “Basic desire” or “Innermost Aspiration “
曽我量深 identifies “Dharmakara” with latent consciousness (Alaya- vijnana) that is deeply hidden in all human hearts.
曽我量深の言葉は心に響きました。
やっと少し頷けました。英語で表現されている先生方のお言葉は単純で分かりやすい、と感動しました。
I think only by discovering Amida’s working in ourselves we can experience true liberation.
Liberation through the power of the Innermost Aspiration.
自分の外にある阿弥陀ではなく、うちから働きかけて下さる不思議な力です。
しかし外からの働きかけが無ければ、うちからの働きかけに気づかないことは現状です。
Maybe like an external voice and an internal voice.
We are asleep inside an eggshell. 卵の内側に眠っている私たち
Amida’s external voice is like the calling voice of the mother chicken that comes from outside the shell and urges the chicken to be born.
私たちより前に生きた先生方が残して下さった言葉でもあります。その言葉が私たちの心に届いた時、うちから呼びかけてくださっている internal voice に気付かされます。
In other words,
Our teachers voices awaken the Innermost aspiration from within us.
啐啄同時【そったくどうじ】という言葉がありますが、似ているかもしれないです。
「啐」はひなが卵の殻を破って出ようとして鳴く声、「啄」は母鳥が殻をつつき割る音
鶏のヒナが卵から誕生するときに、卵の内側から子供が、外側を親鳥が同時に卵の殻をつつくことで、殻を破り生まれて来ると言われています。
鶏に限らず、師匠と弟子。親と子の関係も、それぞれが成長するために同時に動くことの大切さを説く言葉ですね。
「殻」は私達が普段の生活で生み出した「こだわり・凝り固まった考え」でしょう。
殻の中にいるのは、当然「悩む私」。
人生の中出逢っているものがご縁となり、今まで気づいていない世界が見えてきます。
殻の中にいる自分である、この認識は大切でしょうね、、。