「to Meet with Living Nembutsu」が自分自身を一番育ててくれると実感しています。南無阿弥陀仏はラベルだけではない、it must be alive.
Alive means, to come from heart.
お内仏の前や葬儀の場で手を合わせてお念仏は称えるが、それは形だけであり、ラベルに過ぎない。
確かに形が入り口となる事が多いから、貴重なご縁とはなるが、そこで立ち止まったら、本当の教え、親鸞さんが感動され、救われた念仏には出遇わないでしょう?
The Nembutsu cannot be a mere label but must be alive or come alive through our own experience. Something that we can express from the bottom of our hearts.
お念仏に生きる人ど逅い、教えに生きる人となる。
Unless we meet the living Nembutsu, we cannot accept the teaching. 逆に言えば、そういう人に出遇えば、言葉が不要になる。
お聖教の中、そういうような出遇いがたくさん説かれています。
固有名詞を持った存在との出遇いが一番導くものとなってくれる。それによって、奥深いところにある法蔵菩薩の存在に気付かされ、awakening to our true self という歩みが始まる。
毎日数え切れない小さな出遇いがあり、それに意識してみれば、教えられるものが沢山ある。私はそう感じています。
本日は豊田市仏教会で講演をさせて頂いたのですが、一列目には色んな宗派の僧侶の方々が座っておられて、流石少し緊張します。しかしありのままの自分以外何もないですから、有り難いご縁でした。