・釋萌海便り

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浄土宗の大本山にて

浄土宗の大本山にて 「袖触れ合うも多少の縁」と清浄華院のご法主台下様に紹介されましたが、喫茶店で偶々隣り合わせになったのはご縁となり、今日浄土宗大本山の清浄華院でお話をさせていただきました。 浄土宗のお寺で法話するのは初 […]

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御同行・御同朋

同朋 is  Shinran’s Non-discriminating Universal Faith四国教務所で久しぶりに所属寺院の住職に会い、色々語り合えてよかったです。本山で得度してからもう5年になりま […]

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苦しみや悲しみを通して、出遇う世界がある

他者の苦しみを自らの苦しみとし、仏さまのお心にかなう生き方 語り合い聞き合う中で自分の思いに気づいていく場、これが何より必要だな、と今日改めて実感しました。 気になるテーマで語り合う中に、日常で気づけない大きな学びと思い […]

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我々は、いのちの叫び声を聞いているのか

「自らいのちを絶つのが良いとか悪いとか、安楽死の是非が問われているのではない。我々は患者の 本当の願いを聞いているのかが問われている」治る見込みのない難病のなかで、死をのぞみ、それを可能とする医師が薬物を投与し、安楽 […]

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The life of a truly religious person is a continued self-reflection into the self

本年は沢山の出遇いをさせて頂いて、いつも応援してくださっている皆さんに心より感謝しています。2022年は色々な地域のお寺にお参りができて、お話しをさせていただきました。貴重なご縁を頂いて嬉しさと共に恐縮しています。場に育 […]

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圓徳寺でのお寺コンサート

圓徳寺でのお寺コンサートは無事に終わりました。遠くからも聴きにきて頂いて、心より感謝しています。 お寺で色々イベントをすると門徒さん以外の方もお寺に足を運ぶご縁となります。教えに触れ合う為に、このようなきっかけを積極的に […]

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砂の上の足跡

「砂の上の足跡」は1970年代に作者不詳として広まった詩です。ここでは自分から神に対する問いかけであるが、法蔵菩薩にも当てはまるところがあると感じて、投稿しました。 歴史的に実在したイエスと比較して、法蔵菩薩は実在してい […]

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だから本当に道を求める求道者というものは、求道の精神があれば、必ず善知識に会う事ができる

「だから本当に道を求める求道者というものは、求道の精神があれば、必ず善知識に会う事ができる」 私はこの言葉を信じ、歩むべき方向が分からなくても、歩み続いています。親鸞さんが感動されたものに出遇いたいと願っているからこそで […]

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曽我量深は法蔵菩薩を、a symbol of the awakening faith in human beings 

「Cultivating Spirituality」という、英訳された本で、 曽我量深も菩薩菩薩の物語をどのように受け止めれば良いか、悩んでおられたと書いてあって、驚きました。法蔵菩薩でずっと悩み、迷っている私です。学院 […]

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浄土真宗、国際ミーティングを開催

浄土真宗、国際ミーティングを開催❣️アメリカ人、フランス人、スイス人と日本人がお念仏の教えについて語り合う。海外の別院に所属する外国人向けの教師資格制度がいまだに存在していないです。同じ本山に所属しながら、教師資格を取り […]

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