日本では、疑問を感じても、質問してはいけない印象を何回か受けました。今通っている真宗学院で、質問された講師は困った顔される方もいます。真宗の教えについて真剣に勉強したら、疑問が湧くことも当然です。理解を深めていくのに必要なプロセスだと思います。
聞いたら恥ずかしいとか、答えられなかったら格好悪い、というところで止まったら、歩みも止まってしまいます。
親鸞さんは、師匠や兄弟子の前で堂々と自分の疑問をぶつけ、議論をして、批判恐れずに自分の考えを表明しました。「信行両座の決判」と「信心同一の問答」を考えると、親鸞さんの求める心と、それを受け止めて下さる師の法然さんの大らかさ、疑問をぶつけれる関係や環境がある事は仏道歩んでいく事においていかに大事かと良く分かります。
親鸞さんや法然さんの、二人の関係から教えられたことは、忘れてはいけない大切な事です。
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