悲しい別れを通してにしか出逢えない世界、有り難いご縁として受け容れ、感謝できるようになりたい
私も今まで逆縁についてあまり考えた事なかったが、私が真宗と出遇えたことこそ逆縁でしょうね。逆縁という表現にネガティブな印象を受けてしまいます。
しかしお彼岸会のこの日にこそ思い知らされること、、
たくさんの方がお寺とご縁を結んでいますが、そのご縁を結ぶこととなった背景には大切な方を亡くしたという「悲」の逆縁「愛別離苦」があります。その逆縁こそは私たちが南無阿弥陀に出会う背景となります。
両親や友との「悲」しい別れを通して、たくさんの気付きをいただくが、親が生きてる間は自分の都合に合わせて変化するので、本当の意味で出会えないでしょう。生きてる間にこの出会いを果たすのは難しいです。親との本当の意味での出会いは亡くなった後になるのではないかなと思います。
両親や友との悲しい別れを通してにしか出逢えない世界、
その世界に出逢わせてくれる苦しみや悲しみは、私達にとって貴重な導きとなります。ですから、逆縁は本当は有り難いご縁として受け容れ、感謝できるようになりたいものですね。