「どんな私でも抱きしめて貰いたい」という自分の願い、
Unconditional compassion and acceptance without judgment 、無条件の慈愛、これは全ての人が願い求めるものでしょう。
「私のよい面だけを選んで抱きしめるのではありません」
しかし人間にはなかなかできないことです。
だから摂取不捨ということばがいかに有り難い究極の言葉であるかがわかります。
「摂取不捨」とは、阿弥陀如来の願いをひと言で表現したものです。
It comes from beyond our small-minded self that is always engaged in calculating or judging others.
自らの罪過をありのまま知り、それを詫びて告白することが、救いの過程の第一歩です。
しかし、一人では気づき得ないものです。ザンギ心を呼び起こす関係は如何に大事であるかわかります。
「罪を罪としてありのままに受け容れることができるのは、罪を感じている自分を、丸ごと受け容れてくれる存在に出逢った時である」
という、アジャセ王の物語の本に出会った言葉が心に響きます。
If we were to translate nembutsu into English, it would be the
「 Name-that-calls 」
for it calls us to awaken to our fullest potential to becoming true, real and sincere human beings.