他の宗教は人の悩み苦しみに関して答えを出しているが、真宗は「問い続けていく」姿勢を大事にしています。そこはやはり大きな違いです。
常に自らの在り方を問い続けながら、仏法を聞いていくしかない、のが浄土真宗の特徴の一つでしょう。簡単に答えを出してくれる宗教は有り難いかもしれないですが、本当の意味で自分自身に向いていく、問いを深めていくにはならないでしょう。
母は鬱病の状態で安楽死を実施したが、何故許可降りたのか、いまだに疑問になっています。鬱病になっている人は、死を選ぶ判断力があるとは思えません。
暗闇中歩んでいてトンネルの中にいる人は、死にたい思いがあっても珍しくないでしょう。しかしどんなに長いトンネルであっても、いつかは必ず出口がきます。暗闇を生きる力を与えてくれるのは、心の拠り所になっている宗教でしょう。暗闇から早く逃げ出るのではなく、今しか味わえない暗闇を大切なものとして生きる。
母は安楽死団体に断られたら、今はどうなっているのかな、と時々考えています。今でも安楽死以外の道が見えていないでしょうか? 自分の力で間に合わなくてもよい、人の手助けを受け取れるような人になれたかも知れないです。
ある方は40代の時脳梗塞になり、半身麻痺になってしまったが、今は80さいになっていて、当時に安楽死無くてよかった、と語っている、、安楽死の制度があれば、僕はきっと選んでいたでしょう。
今となって、第二の人生として喜べるようになりました。
暫く暗闇のトンネルを歩み続く事も大切ですね。簡単に死の選択肢を差し出してはいけない事です。