生きることに対し、言葉にし難い不安を抱えておられる方がますます多くなってきました。時代ごとに社会状況は異なるが、人が不安を持つということに変わりはありません。

死ぬ勇気があれば、何故生きる勇気がないでしょうか? これは母の安楽死の時大きな疑問になりました。死にたいと生きたいのは裏表です。もうしんどい、「早くお迎えがきて欲しい」、とはよく聞く言葉ですが、本当に死にたい、とは違うと思います。

生きることを学ぶ場がますます重要になってきた今の社会。不安を抱えているのは自分が一人ではない。支え合いながら生きる社会、また自分自身に向き合っていける場。

生き甲斐となるものを見つける事です。例えば、周りの人を喜ばせることを生き甲斐と感じる人がいます。最期までその生き甲斐を持ち続ける、生き甲斐があれば、辛いことがあっても、まだ生きていたいという希望や勇気が湧いてくると思います。

金沢の夏季公開仏教講座「聞」では色んな講師のお話しを聞きながら、生きる中、何が大切なのか、気付かされる場になっています。

仏教は誰の為にあると思いますか、と若い世代に問いかけると、おばあちゃん、おじいちゃんの為だ、私たちにはまだ早い、と答える子が多いみたいです。

しかし仏教は生きる道を説いている教えです。また、不安を抱えながら歩み続ける力になる教えでもあります。

今日は夏季公開仏教講座「聞」の場を頂戴しました。このようにして、共に考えていける場を開いてくださること、その重要さを改めて味わさせて頂きました。そういう意味でも貴重な時間でした。

質疑応答で何人かから少し感想を聞かせて頂いて嬉しかったです。「今日の話しを聞いて、病気を持っている自分ですが、生きる勇気を頂いた」、という言葉が特に嬉しかったです。これは私にとっても貴重な出遇いでした。

本日金沢に辿り着くのは大変でした。まずは大阪〜京都、人身事故によって運転見合わせとなり、乗る予定だったサンダーバードも止まってしまいました。いつ運転再開となるか、待っているうちに、湖西線も別の事故で運転見合わせになり、今日金沢に辿り着けるのか、と心配になってきました。
いくら時間に余裕を持っていると言っても、次々と運転見合わせになると心配になります。結局は米原経由で、ギリギリに間に合いました、、。

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