「そちらはよく外国人を住職として迎えたな...」と総代さんは他のお寺の役員に言われたそうです、、。「うちらは、外国人であろうが、日本人であろうが、全く気にしない」とうちの総代が答えたらしい。一生懸命やってくれる人なら、どなたでも歓迎ですと、。

真宗大谷派、初の外国人住職であるが、真宗大谷派で教師資格持っている外国人、特に西洋人も数少ないです。日本語が流暢でないと資格を得る事が難しくて、言葉の壁が一番大きなハードルになっているのは間違いありません。しかし、オーバーツリスムである程度外国人の姿に慣れてきたとは言え、お寺の世界ではまだまだ珍しい存在であって、新鮮に感じる人もいれば、住職として違和感のある人もいます。

「そちらはよく外国人を住職として迎えたな...」という言葉を、正直なところ、少し寂しく思う事もあるが、自分でどうかにできる問題ではない。外国人であろうとが、日本人であろうが、最終的はその人に出遇っていく以外ない。合う合わないは人間関係で必ず出てくる問題です。

人は私をどう見ているかよりも肝心なのは、私自身の意識でしょうね、、。高雲寺ではありのまま受け容れて頂いて、何も意識せずに過ごしています。門徒さんも、最初は少し驚いたでしょうが、今はもう既に「ご院さん」と声をかけながら、自然と接してくださっています。

自分は自分らしく、オリジナルというか、ありのままでよい、。
違和感ある人は、違和感なくなるまで触れ合ってみればよい、。

今日の午前中は前住職の一周忌を東組の僧侶方と共にお勤めしました。前住職はきっと喜ばれたでしょう。
聞法会、一周忌、永代経及びお彼岸会、お墓参り、新住職の就任式、すべてが無事に終わってホッとしています。

今回は圓徳寺住職の佐藤さんに色々とサポート、バックアップして頂いて、心強かったです。法話もして頂いて、門徒さんは新鮮だったと思います。
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