は講師の在り方として素敵だと思います。講師だからと言って、全ての答えを持っている訳ではありません。生徒の問いを自分の問いにして、共に感えて、歩んでいく事が大事だと思さいます。
今の教え方は、講師からの一方通行で終わっている事がよくあるパターンです。話しを聞いた後その内容について皆で語り合う事がなければ、自分の理解を確かめる事もできません。互いの意見があるからこそ、自分の考えは広がります。
修練で、輪になって話し合える時間きあったから、本当によかったです。
講師以前の問題、学園として何が必要なのか、何を考えて欲しいのか、何を理解して欲しいのかが明確ではないような印象を受けています。
それこそ、教師資格を資格として表面的に取るだけではなくて、僧侶としての中身をもっと充実させる必要があるように感じています。