「あなたはいつでもどこでも袈裟衣を着用していることはすばらしいこと、そして声明の声のすばらしさは誰しも感ずるところです」と今日師匠からお言葉を頂いて、本当に嬉しかったです。
僧侶が身に着けている袈裟衣の意義は何でしょうかね?
知っているお坊さんの大半は、お参りが終わり次第、間衣をなるべく早く脱ぎたい方です。野外で間衣を着ると、常に視線を感じてしまい、心が落ち着かないようです。
私にとって、法衣の姿は、今心にある気持ちを表しています。法衣を着れる事を光栄に思い、僧侶としての歩みを意識しています。僧侶として歩ませて頂けるのは有り難いな、と感謝の気持ちで一杯です。だからといって、自慢したい訳でもないです。しかし間衣のお陰で、よく声をかけて頂き、沢山の人と触れ合えるきっかけとなっています。「何故浄土真宗がいいのか」とよく質問されています。
普段洋服で過ごしている方は、衣をきて念珠を持つと急にお坊さんらしい振る舞いになるでしょうね?
「今日も仕事を頑張るか」と気合が入るでしょう。
お寺も、仕事もない私にとっては、袈裟衣はただありのままの自分の姿になっているだけです。法衣を着ると心が落ち着きます。真宗学院に通っている時も、もちろん間衣輪袈裟です。しかし、私以外は皆洋服です。
看護師や医者やホテルマンや警察官など専用の服がある人は、着替えることによって立ち振る舞いや言葉づかいなどにスイッチが入ることでしょう。意識を変えようとするならば、服装を変えることが一番手っ取り早いのです。これももちろん大事な事です。
衣や袈裟を着ることで他人からお坊さんらしい人物だと思われるかもしれません。また同時に、着ている人自身も、内心を改め慎んだ態度をとるようになることでしょう。
しかし、そんなに緊張しなくても、ありのままの自分として僧侶の姿を見せても良いのではないでしょうか?
人と触れ合いを持つお坊さんの姿を。浄土真宗の代表である事は何より嬉しくて、有り難い事だと私は感じています。南無阿弥陀仏