真宗に遭った人を通してしか真宗に遭うことはできない、、
「ただ物を申せ」という法について語り合う会を、今日は初めて開けました。今日は瀬田にある善念寺の前住職さんが本堂を使わせて下さいました。
善念寺で住職4人と一緒にお話しができて、とても有意義な時間になり、参加して下さった方々に心より感謝しています。
色んなテーマが湧き上がってきましまが、信心や本願についてそれぞれの受け止めを聞く事ができて、色々と参考になりました。
このようにして、教えについて語り合える場が本当に大事だな、と改めて感じました。
「ただ物を申せ」は、正にそういう意味ですね。
私の問いかけがきっかけとなり、話しがどんどん盛り上がってきました。
お寺での聴聞は、聞いていればわかったような気持ちになりますが、それは正しく理解したかは疑問であります。また解釈は人によってそれぞれになります。
仏道を歩むと、自分を抜きにしては始まらない。だから、心に引っかかったことはそのままたずねて、聞いていくのが大事なことだと私は思います。
浄土真宗は「聞法」、教えを聞くことを大切にしている宗教だと言われています。だからこそ教えを分かりやすく伝えてくれる先輩との出遇いが最も肝心でしょう。また、気軽に問いかけができる人であるべきでしょう。
最初は、教えの要点を理解することが重要でしょう。その後で「聴聞する → 疑問や不審を出す」ことを繰り返すのが、聞法の基本的なサイクルになるかと思います。
アメリカの別院では「信心」について皆で話し合っているみたいです。教えを理解するのに、このような座談会がとても大事だな、と感じています。
話し合いの中、相手も、私と同じように、阿弥陀仏の本願が分からずに悩んでいる事が分かる事もあります。
今日は3人の方のお話しを伺う事ができ、貴重なご縁を感謝しています。