本年は沢山の出遇いをさせて頂いて、いつも応援してくださっている皆さんに心より感謝しています。2022年は色々な地域のお寺にお参りができて、お話しをさせていただきました。貴重なご縁を頂いて嬉しさと共に恐縮しています。場に育てて貰いなさい、と師の言葉を大切にしています。
2022年はあっという間に過ぎてしまったが、振り返ってみるとかなり大変な一年になりました。1月は中央声明講習会一回生、引き続き修練、2月は真宗学院の期末テスト、最後の日は体調が急に悪くなり、急性膵炎で入院、絶食になりました。
一度退院できたが、4月の初めに再び入院!5月に中央声明講習会2回生で、御文やお経を入院生活で稽古、、必死になっていた気持ちはいまだによく覚えています。
1回生から2回生までの期間も短かったから必死でした。そんな状況なのに、良い結果が出せたこと、師匠と一緒に喜んだ瞬間も記憶に残っています。
4月は学院を卒業して、大谷派教師にもなった、、大きな目標に達したにも関わらず、あまり喜べませんでした。お念仏の教えに、あまり近づいていけなかったという実感があったからです。教えは、本の勉強だけでは身につくものではない事が分かりました。
日常生活の中、出逢えるものによって見えてくる世界があり、感じるものがある。
「The true disciple is the person who discovers the reality in Amida’s working in his/her life」
阿弥陀のはたらき、呼びかけを日常生活の中で発見できる者こそは本当の仏弟子である。
「Shinjin is the experience of Awakening」
このような身の事実に心から目覚めてほしいという呼びかけが私に届いた時は信心を得る瞬間だと、、
そうであれば、やはり本を読むだけではそのところに到達できないでしょう。
日常的にあるぶつかり合いによって見えて教えられるものがあり、自分の在り方が明らかになります。
「The life of a truly religious person is a continued self-reflection into the self. 」
その意識を持ちながら歩み続ける事が大切だと教えられています。
また、善知識との出逢いによって見えてくるものもあります。
善知識は師一人の存在とは限らず、日常生活に出逢っている全てのものです。それに気付くかどうかは、私たち次第です。
「By listening, we come to see the teachings in our everyday life, all around us. Everyone and anything can be a teacher to us, if we have the heart and mind to listen, and to learn, and to receive. 」
仏さまが私に願いをかけてくださっている。日々お念仏と共にその願いに触れて生きる。それが「礼拝」という私たち真宗門徒の生活の実践である、と、西福寺のホームページの言葉に感動しました。
人生を根底で支える言葉がある。それに出会われた方の人生や言葉に、自身を教わりながら人生を歩む。それが「聞法」という私たち真宗門徒の生活の実践であると。
この事を意識しながら、これからも歩んで行きたいと思います。
今年は沢山の出遇いをさせて頂いたこと、皆さんに感謝しています。