お寺は死者と出遇える場所、その場所の大切さを思い知らされました。
称名寺との出遇いは私の心に深く響きました。何が、と聞かれたら、即答できませんが、先程に師匠に、お寺は死者と出遇える場所、と言う話しを聞かせて頂いて、称名寺の亡くなられた住職を思い出しました。先日の日曜日称名寺でお話しをさせて頂いた時、デザイナーされていた弘照先生の手作りの袈裟や法衣が沢山残されているのを見て、心に迫るものがあり、涙を浮かべました。その後は、弘照先生が門徒さんと一緒に私の話しを聴いてくださっているように感じました。お寺は、今を生きる私たちが、大切な方の「死」という事実を通して、仏の教えに出遇い、真実ということに出遇う貴重な場所だな、と改めて感動しました。

 この世のいのちには必ず限りがありますが、私たちはついその事実を忘れてしまい、支えてくださっている人に感謝の気持ちを充分に伝えられないうちにお別れがきてしまいます。

「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」

感謝の気持ちを大事にして、今の歩みを大切にしたいことを、弘照先生に教えていただきました。

限りあるいのちが限りなきいのちに生まれる、帰る処、行き先がはっきりしているから、いつ死が来ても不安になることはありません。 安心していのちを終えることが出来ます。だからこそ、今をどう生きるかが問われます。

僧侶、住職になる道をひたむきに一生懸命に歩まれた弘照先生に励まされ、私も自分の道を信じて歩み続けたいです。
弘照先生、ありがとう!
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