「あすありと思ふ心のあだ桜夜よ半わに嵐の吹かぬものかは」という言葉に今日改めて出逢いました。

「今日はもうしんどいから、明日にしといたら」とある方によく言われています。しかし、明日にまだ命あるかどうかも分からない厳しい現実の中生きていると忘れがちです。

あなたは「ごめんなさい、ありがとう」、と支えてくれている人に伝えた事ありますか? 今日でなくても、明日でも伝えられると思い、手遅れになった経験はありませんか。

伝えれるうちに伝えたらよかったのに、と悔やみ、心残りとなることもあります。 心残りに一生追いかけられていくように思います。

「今美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろうと安心していると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない」ということです。

「明日自分の命があるかどうか分からない、だからこそ今を精一杯大事に生きていきたい」との思いが込められています。

私たちは当然のように自分には明日もあり、また明後日もあり、そして10年先、20年先もあると思っています。また、知らず知らずのうちにそういうことを前提とした生活習慣となり、今ここにしかないこの命を大切に生きられていないことも多くあるのではないでしょうか。

明日もこの先も自分はずっと生きているものだと信じ、死を他人事のように考えて何の準備もせずにいると、いざというときに「あの時、ああしていれば」と、この世への未練を残すことになりかねません。

「命はかぎりある事なり」
日蓮聖人は『法華証明鈔』というご遺文のなかで、「命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ」と説かれています。

ゆるがぬ信仰心をもって命に向き合い、「何をなすべきか」「いつやるか」を考え、限りある命の中で精いっぱい努める覚悟が大切だと教えられます。
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