修練の目的は一体何なんのでしょうか? それについて考えているこのごろです。
お東では前期、後期修練と言いますが、それはお西の教師教習になるのかな? どんな事を勉強されているのか、資料見せて下さる方がいれば大変ありがたいですが?
お東では部落差別(同和問題)と、靖國問題をを勉強します。
正直なところ、靖國問題を勉強しないといけない理由、意味は見出せないです。
前期修練で配っているテキストは読みにくい字体で、ルビも全く降ってないもので、私にはとても読めそうにないです。
また、全文筆記の課題があります。前期修練で私もチャレンジしました。日本人でさえ、付いていくのは大変なのに、外国人の私にとっては、お手上げでした。
人の話を真剣に聞くということが課題の為だそうですが、私の印象では、書くのは必死になっているだけで、一体何を書いているのか、考える時間もなく、そのまま終わってしまいます。
一言も聞き洩らさないぞ、という誓いを立てて話を聞いてみよう、と。
しかし、理解もできないものを、書いただけで、一体何の意味あるでしょうかね?
真宗同朋会運動とは、寺を聞法の道場にしたいという願いのこもった運動だったと思います。
しかし、寺に同朋会を開くことだけで終わる運動ではないですね。この私が教えに出会うという運動である筈です。そして目の前の人をひとりの求道者として見い出すという運動でしょう。
差別する自分であることに気づく事は大事だと思います。差別しない者にはなれないですが、差別を許さない者にはなれます。
個人的は、靖國問題よりも、親鸞さんの書物、または『歎異抄』でも、共に読んで、勉強したいです。『歎異抄』や顕浄土真実教行証文類を読んだこともないにも関わらず、教師となります。個人的にはもちろん読んでいます。日本語現代語や、英語でですね。
もっと教えそのものに触れたいと願っています。