泣く時もお慈悲の中、悲しみも喜びも、ともに阿弥陀さまのお慈悲の中にあります。

親を亡くしてからもう5年になりました。2月4日はお母さんの命日でした。しかし、未だに手を合わせられない私です。

母のあの死に方を思い出すと、深い痛みと悲しみ、また怒りに襲われることがあります。しかし、そんな時、浄土真宗の教えに触れていると、この痛みや悲しみには大切な意味があることが知らされます。

「悲しみは乗り越えるものではなく、その意味を尋ねていくべきもの」と酒井先生の言葉に感動しました。

人はみな誰もが、居場所を求めつづけていますが、私には未だに自分の居場所が見つかっていません。

ひとりの人が悲しみを抱えて今を生きているけれども、それは決して孤立することではなく、同じように悲しみを持って今を生きている人と、悲しみを縁として、人と人とがつながっていく、という言葉を聞きました。同じ悲しみを味わっている人は、この私の悲しや怒りを分かってくれるでしょうね。

「苦をまぬがれるには その苦しみを生かしていく道を 学ぶことです」
この言葉を励みにして、私も歩ませて頂きたいと思います。

悲しみも喜びも、ともに阿弥陀さまのお慈悲の中にあります。
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