「Cultivating Spirituality」という、英訳された本で、

曽我量深も菩薩菩薩の物語をどのように受け止めれば良いか、悩んでおられたと書いてあって、驚きました。法蔵菩薩でずっと悩み、迷っている私です。学院でも皆に問いかけましたが、周りに私と同じような問いや疑問を持っている方もいなくて、悩んでいるのは私一人のかな、とずっと寂しく感じました。

歎異抄にあったように、あなたも同じ疑問を持っていたね、僕も同じ道を通って今に至っている、という、善知識の声が望ましいです。

曽我量深は法蔵菩薩を、a symbol of the awakening faith in human beings と表現されています。

Soga came to understand Dharmakara as the symbol of Amida’s salvfic vows working within the human heart to lead all beings to enlightenment. The arising of faith , he declares is non other than the birth of Dharmakara within the heart of us human beings. 

何故物語は真実に導く働きを持っているのか、これは大切な疑問だな、と個人的に思っています。

信じる以外ないかも知れないですが、疑問や問いかけもなければ、自分のものにはなってこないでしょうね、?
自分を抜きにして、仏道が始まらないと思います。
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