人生においては、「timing」がとても大事な様子です。英語では、good timing という言い方しますが、宗教的に表現すれば、「縁熟」と言うでしょう。全ての出遇いはtimingによって成り立つ。
偶々ある時間ある場にいたからこそ出遇えた。昨日学院生に、何故真宗大谷派を選んだのか、という問いかけがありました。私は禅宗選んでいないとははっきり言えますが、真宗大谷派を選んだ事も言えない。「今いのちがあなたを生きている」という標語との出遇いは確かに大きかったが、そのtimingで後に所属寺院のなってくださった浜口和也先生と出遇えたから、真宗大谷派の僧侶としての歩みが始まりました。
標語が心に沁みるのには、安楽死を独断して、私を苦しませて命について考えさせる母がご縁となった。涙の出るようなご縁に出遇わないと、仏法は響かない、という言葉ありますが、正にその通りです。
私が高雲寺住職としてご縁を頂いた事も、偶然でも必然でもなく、ただご縁があっただけでしょう。住職になる為必要である教師資格があるのはまず条件ですが、住職を探していて、外国人女性の私でも歓迎してくださる寺院がいた事、また、ちょうどそのタイミングで私を信じて、縁結びしてくださった敦賀組長である高岡先生の存在も肝心な様子でした。
Timingはもちろん逆縁の意味合いを持つ事もあります。ある時ある場所にいなければ、事故にあわなかった、地震にあわなかった。
そこで、助かった場合は、神に守られていた、おかげさまという、助からなかった場合は、何故守ってくれなかったと、神を攻める。
悪いtimingを受け容れる事は簡単なことではない。場合によっては、少し時間も必要となる。暗いトンネルを抜けた後振り返ってみると、それもご縁として、自分にそれまでに見えなかった世界に出遇わせてくれる為に必要な促しだった、と頂く事はあります。
でもそれは本人の歩み、考えによるプロセスたまから、他人から押し付ける事はできません。
都合悪いご縁も、ご縁として受け容れる事を学ばせてくださったのは真宗の教えです。もちろん、現在進行形です、、。
昨日と今日は金沢真宗学院、一泊研修会で、学院生と共に過ごさせて頂いています。講演の後は班別座談会で、一人一人のご意見を聞ける事は何より大切だな、と改めて感じました。
金沢真宗学院は明るくて素敵なところだと、学院生同士のやり取りを見ながら感動しました、、。これこそはサンガでしょう。学院を卒業しても、残る深い繋がりです。
共に学ばせて頂いてありがとうございました!