感動のあまり、言葉が見つからなくて、、いや、感動したなあ!
今日は横須賀で善知識として心より尊敬している海法龍先生のお寺で法話させて頂いたが、先生の前での法話は流石に恐縮でした!
しかしこんな私を心暖かく見守ってくださっている先生のお心、それが凄く伝わってきてて、信心歓喜というか、心が喜びのあまり跳ねている状態ながら涙浮かべています。
法話している私の心や、見守ってくださっている海先生のお心が一つになった事を味わい、ただ感動しているだけです。
善知識との出遇いは当たり前でなく、やはり貴重な贈り物です。私の歩んでいる道は間違っていない、これで合っている、月を指す指そのものです。
海法龍先生とは昨年、住職修習で出遇い、先生の講演に感動して、夜本山で教えについての私の問いかけに相手してくださりました。
善き師に出遇いがかなりの刺激になり、新たな課題が見えてきました。
先日投稿した「to Meet with Living Nembutsu」はそういう意味だと思います。自分自身を一番育ててくれる出遇いと実感しています。南無阿弥陀仏はラベルだけではない、it must be alive. Alive means, to come from heart.
海先生のお念仏はheartからのものであって、生きた教えを感じさせてくれます。
お念仏に生きる人ど逅い、教えに生きる人となる。Unless we meet the living Nembutsu, we cannot accept the teaching. 逆に言えば、そういう人に出遇えば、言葉が不要になる。お聖教の中、そういうような出遇いがたくさん説かれています。