「役に立たなくていいです。人は何かの役に立つために生まれてくるのじゃないのです」という法語はあります。

しかし、こんな事を本当に受け容れるのはどれほど困難か、最近身に染みいて感じています。役に立たない自分を受け容れる事はなかなかできません。社会に貢献しなければいけないと!周りに迷惑けけたらあかん、と社会によって小さい頃から教え込まれています。

私はスイスから日本に引っ越してきた時に、自分の家族、職業、国、それまでの人生の全てを置き去りにして、全く一からのやり直しでした。新鮮ではありますが、それまでに毎日7時に起きて、病院に通い、夕方まで理学療法士として働いて、夜は空手の道場長に務め、充実した生活送っていたのは、来日してから急に暇となり、目標も失っていたぐらいでした。
やはり、役に立たない自分であると感じました。

人は誰でも、人の役に立ちたいと思っているでしょう。もう役に立たない存在なら、ここにいる意味も見出せなくて、社会に必要とされない、愛されていない存在だと感じてしまいます。
しかし、私の中で、結局は自分が満足したいがために「役に立とう」と思うのであって、他人の為と思い込みながら、実際には自分の為にしかならないです。

「役に立ちたい」という気持ちは批判するべきものではありませんし、そういう志しは素晴らしいと思います。ですが、貢献感を得て、自分が満足するための気持ちであるのではないでしょうかね?

人間は「誰かの役に立ちたい」と思うよりも前に、心が向いてるのは内であって、そうなってくると、承認欲求を満たしたいと考える「役に立ちたい」と同義ではないかと思います。

役に立たなくても、生かされている自分であり、有り難い事として頷けるようになるまで、本当に時間がかかるでしょうね。私には、まだまだできません...
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