・釋萌海便り
圓徳寺でのお寺コンサート

圓徳寺でのお寺コンサートは無事に終わりました。遠くからも聴きにきて頂いて、心より感謝しています。 お寺で色々イベントをすると門徒さん以外の方もお寺に足を運ぶご縁となります。教えに触れ合う為に、このようなきっかけを積極的に […]

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砂の上の足跡

「砂の上の足跡」は1970年代に作者不詳として広まった詩です。ここでは自分から神に対する問いかけであるが、法蔵菩薩にも当てはまるところがあると感じて、投稿しました。 歴史的に実在したイエスと比較して、法蔵菩薩は実在してい […]

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だから本当に道を求める求道者というものは、求道の精神があれば、必ず善知識に会う事ができる

「だから本当に道を求める求道者というものは、求道の精神があれば、必ず善知識に会う事ができる」 私はこの言葉を信じ、歩むべき方向が分からなくても、歩み続いています。親鸞さんが感動されたものに出遇いたいと願っているからこそで […]

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曽我量深は法蔵菩薩を、a symbol of the awakening faith in human beings 

「Cultivating Spirituality」という、英訳された本で、 曽我量深も菩薩菩薩の物語をどのように受け止めれば良いか、悩んでおられたと書いてあって、驚きました。法蔵菩薩でずっと悩み、迷っている私です。学院 […]

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浄土真宗、国際ミーティングを開催

浄土真宗、国際ミーティングを開催❣️アメリカ人、フランス人、スイス人と日本人がお念仏の教えについて語り合う。海外の別院に所属する外国人向けの教師資格制度がいまだに存在していないです。同じ本山に所属しながら、教師資格を取り […]

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自らある宗教を選ぶのと、その宗教に生きる家庭に生まれるのと

自らある宗教を選ぶのと、その宗教に生きる家庭に生まれるのと、本人の歩みにはどのような影響を与えるのでしょう?  「うちも浄土真宗です」と得度した後よくお話しを聞きました。しかし、その「うちも浄土真宗です」というのは、本人 […]

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Not doing but being 

沈黙の中で相手の苦しみに共感することは、私たち僧侶の大事な役目の一つです。しかし人に向き合うことは、実際にどういう事でしょうか? ある医師が、 病を診るのではなく人を診る”、病を診たら、勝ち負けはありますが、人を診たら、 […]

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死にたいという願望を持っている方に耳を傾ける事は何より大切

今日はいのちを考える座談会にご縁を頂き、大阪にあるあかんのん安住荘で「安楽死」の実態を皆と共に考えて頂きました。答えの出る問題ではないですが、社会として共に考えていく必要性を感じています。 話しに入る前に皆で『彼女は安楽 […]

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安楽死は本当に「安楽」なのか?

安楽死と高齢化、本当に生きるとは何か、今こそ考えなければいけません。どのようにして安楽に死ねるか、について考えるよりも、どのようにして安楽に生きれるのか、とフォーカスを変えた方が良いのではないでしょうか? 従来、自殺幇助 […]

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真宗に遭った人を通してしか真宗に遭うことはできない

真宗に遭った人を通してしか真宗に遭うことはできない、、 「ただ物を申せ」という法について語り合う会を、今日は初めて開けました。今日は瀬田にある善念寺の前住職さんが本堂を使わせて下さいました。 善念寺で住職4人と一緒にお話 […]

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